hiromi-okayama’s blog

燃えるハートの雪女☃️というステキなコピーを藤田社長からいただきました

退職しました

2017年9月をもちまして、サイバーエージェントを退職しました。

 

19歳で上京し、
20歳からサイバー・バズでアルバイトを1年間
22歳からCyberXで内定者バイトを1年弱、
23歳から新卒で入社し、
30歳で会社を退職し、札幌へ。

 

私の東京ライフは、ほぼCAだったし
子どもで未熟な私を、いっぱしのビジネスパーソンに育ててくれたのは
言うまでもなく、会社と、一緒にお仕事させていただいた方々です。
どうやって感謝の気持ちを表したらよいのか、わかりません。

 

せっかくなので、この10年間を振り返りたいと思います。

 

とにかく仕事が楽しいんだと教えてくれたサイバー・バズ時代

いつも眉間にしわを寄せて大変そうに働いていた父親を見ていたせいか
仕事ってとにかく大変そうなイメージを持っていました。
ひょんなことからバズでバイトすることになったのですが、
そのイメージを粉々に打ち砕かれたのは、
10年経った今でも鮮明に覚えています。
会社立ち上げ2年目だった当時、とにかくみんな働く時間が長かった。
でも、とにかく楽しそうで生き生きとしていて、
まさに大人が青春を謳歌しているように見えて、
「私もこんな風に働きたい」と心から思いました。
そして、ただの学生バイトだった私に、
社会人の基礎を厳しく愛を持って叩き込んでくれた当時の上司に、
いまでも感謝しています。

 

営業からゲーム企画へ。
プロデューサーを目指すきっかけを作ってくれたCyberX内定者バイト時代。

ガラケーの制作会社として立ち上がったばかりのCyberXで、内定者バイトを始めました。
当時はガラケーが流行り始めたタイミングだったので、
受注するために営業としてアポ電をしたり、アポに行ったり…!
でも営業としては全く成果を残せず、
「私はCAにどうやったら貢献できるのだろう」と考えていた矢先、
ガラケーのゲームをつくるという大きな業務転換が起こりました。
ゲームはmixiの農園ゲームくらいしかやったことなかった私ですが、
とにかく必死に企画を考え、
現在副社長の日高さんに週2回企画を提案するという貴重な体験ができました。
そのときに、日高さんに
「プロデューサーに向いているかもね」とお言葉をいただき
サイバーエージェントにプロデューサーとして貢献ができるのだと
救われた気持ちになったことを今でも思っています。

 

プロデューサー、ディレクターとして様々なサービスを担当させてもらった

まだ1年目だったにもかかわらず、Amebaの顔である
ブログを担当させてもらいました。
実力が死ぬほどなくて、悔しい思いばかりしたのを覚えています。

その後、
「岡山が向いているだろう」と社長から直々にオファーをいただき
大好きだったブログから、ゲームへ異動しました。
当時、Amebaの売上の肝であったガラケーのゲームです。

japan.cnet.com

  

チームで仕事をする、
メンバーの力を最大限に活かす、
決断する、
人を育てる、
という、マネジメントの基本を学んだのが、
ゲームを担当していた2年弱だった気がします。
毎日泣きながら帰りましたが、それを乗り越えて強くなれたのは
私の仕事の幅を結果的に大きく広げられたと思うし、
強く強く育ててくれた当時の上司には頭も上がりません。

また、その際に売上を2倍に伸ばせたことから
社員総会で「ベストプロデューサー賞」をいただきました。
驚きすぎて感情がついてこなかったのを覚えています(笑)

 

それから、Amebaプラットフォームに異動。
その後、どうしてもチームで仕事がしたくなり上司にお願いして
女性向けアプリゲームを1から立ち上げさせてもらうことに。
2014年11月のことです。

今まで、どの仕事も全身全霊でやってきたつもりでしたが、
心の底から人生をかけてやり遂げたいと思えるほど大事だと思えるような
チームとプロダクトでした。

女性向けアプリゲームでは、
根幹となる企画づくりから、一緒にお仕事するパートナー選定、進行管理、
プロモーション、SNS運用、楽曲制作、コンテンツディレクション
グッズ制作、番組制作、イベント運用…など
とにかくゲームに関わる全てのことを(プログラム以外)やらせて頂きました。

その過程で、チームマネジメントも勉強し、
自分の強みにできることを確信することもできました。

営業のトラウマがあったのですが、
意外と社外の方と仕事をするのが楽しくて大好きだということも気が付きました。

全く知らないジャンルでも、とことん勉強して大好きになれることも知りました。

今までで一番、自分でも知らなかった自分に出会えたのは、
このプロジェクトだった気がします。 

 

その女性向けアプリゲームをリリース後、
新規メディアの立ち上げに挑戦するチャンスをいただきました。

「事業責任者」というポジションでのジョイン。
今までの経験を総動員しても、とてもむずかしいプロジェクトで
結局3ヶ月遅れてのリリース。

r25.jp

本当にたくさんのサービスを担当させてもらって、
たくさんの素晴らしいメンバーとサービスづくりをさせてもらいました。

もっともっと、いただいたチャンスを成果で返したかったです。
悔しい気持ちも、とても残っています。

 

これから

札幌の実家に帰ることになったのですが、仕事は続けるつもりです。
サイバーエージェントではたくさんのチャンスを恵んでいただいたので
今度は、自分でチャンスと仕事を作っていきたい。
そして、人生をかけてやり遂げたいことを見つけ、
札幌に貢献していきたい、と本気で思っています。

もはや、新しい挑戦がしたくて、ウズウズしています。
やっぱり私は仕事しないとダメみたいです(笑)

 

 

さいごに

最後になりましたが、
こんな私にビジネスパーソンとして大事なことを教えてくれたみなさま、
トレーニーとして私と一緒に成長してくれた後輩たち、
チャンスを与え続けてくれた先輩方、
切磋琢磨しあい、心の支えであった同期たち、
今まで、本当に、本当に、ありがとうございました。

元気でな!