hiromi-okayama’s blog

燃えるハートの雪女☃️というステキなコピーを藤田社長からいただきました

【北海道移住話】病院が少なかった件

少しでも、北海道に戻ってくる人が増えたら良いなと思って
私が札幌に戻ってきてからのことをブログに残しておこうと思います。
今日は病院の話。

 

 

2016年12月、健康診断で「要精密検査」という結果になった。

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まだまだ東京でモーレツに働いていた頃、初めて赤字で書かれた結果にちょっとビビった。めちゃくちゃ仕事が忙しかったのだが、とりあえずと思って午前半休をとり、近所のレディースクリニックを予約しました。

病院に行って健康診断結果を見せたら
「うちじゃこの検査できないです。この結果見ると急いだほうが良いです!この一覧にある病院に行ってください!」

い、急いで?というかできないの!?せっかく会社休んだのに!

という色んな感情がごちゃ混ぜになりながら、近所の別の病院に駆け込みました。

そこで検査をして、検査結果が出るまで2週間ほど必要だったと思う。結果は、子宮頚部中度異形成(CIN2)でした。

私の解釈だと、子宮頸部の細胞が一部変な形になっていると。このまま進行すると最悪子宮頸がんになる、というものです。(気になる人はご自身でお調べくださいw)

それを診断するためには3つの検査があって、
 1)細胞診
 2)コルポスコピー診
 3)組織診
なのですが、この3つ揃って検査できる病院が、限られているようでした。

中度の次は高度、上皮内がんらしいのですが、すぐに進行するわけではないので、2ヶ月〜3ヶ月に1回、検査を続けましょうとのこと。

そうして、何度めかの検査の後の2017年10月、私は札幌にUターンしたのでした。

 

紹介状はある、しかし丸々1ヶ月待ち。

病院を引き継ぐのは初めてだったのですが、とりあえず紹介状を書いてもらいました。紹介状があるし、すぐ診察してもらえるだろうという考えが甘かった。

札幌に帰ってからすぐに、病院を探しました。調べてすぐに失敗した…と思ったのですが、なんと、3つ揃って検査できる病院が札幌市内では3つしかなかったのです(2017年10月当時)!

うえええええ!?まじかよ!しかも全部めっちゃデカイ病院じゃん!!!
(東京では小さい婦人科で検査できてたので驚き)

女性の先生が良かったので、女性がいる病院は更に限られていて、
おえええええまじかよ・・・・東京という環境に甘えてたよ私・・・
と思いましたよね。

某病院に電話かけたら、すっごく親身になってくれたのですが、
まるまる1ヶ月待ち〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?!?!?うそおおおおおおおおお!!!!

その電話をかけた月が本来は検診しなきゃいけない月だったのでちょっと焦りつつ、「もっと早められたり…しませんかね…?」と聞いてみるも、予約でみっちり埋まっているそうで…泣く泣く1ヶ月後に病院に行きました。

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紹介状だけでは足りない?

初めて札幌の病院に行った日、紹介状を持っていきました。
紹介状には病状とか色々書かれていたようなのですが、どうやらそれだけでは足りなかったようで、色々先生に聞かれました。
しかしわかるわけもなく…
ようやく気づいたのですが、東京の先生、かなり雑だった!!!!!!

その日は検査して、次に検査結果を聞きに行くときに、東京での検査結果の紙を一緒に持っていきました。検査結果の紙、捨ててなくて良かった…!!!
紹介状だけではなくて、持っている情報すべて持っていったほうが良さそうです><

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引っ越す前に電話しておく!

私は本当に行き当たりばったりな女なので、当たり前だろと言われそうだけどw
定期的に検診しなきゃいけない病気を抱えている人は、札幌に来る前に目星の病院を見つけておいたほうが良いと思います。
私は1ヶ月で済んだけど、もしかしたらもっと長く待たなきゃいけない科もあるのかも?ですね。

ちなみに病院の評価はネットを検索しまくったのと、看護師の友人に聞いたりしました。(とはいえ確証は得られず、交通の便が一番良い病院にしました)

 

ありえないくらい丁寧

結局、病状は進行していて、2018年1月に手術して、今は要経過観察で通院しているのですが、病院の先生がありえないくらい丁寧だということをここに主張したい(東京比較)

私の偏見ですが、東京ってめっちゃ診察雑じゃないですか?
え?ちゃんと見てくれてます???
って何度も思ったんですけど札幌の病院は全部先生が本当に丁寧!!!!!

1ヶ月待って今も通い続けている病院の先生は勿論、コンタクトのために通ってる眼科も、耳鼻科も、内科も、本当に丁寧で優しい。

色んな質問もできるので、手術に対しても不安なく向き合えました。

 

まとめ

  • 紹介状は書いてもらうべき
  • 過去の検査結果は全て初回の診察に持っていくべき
  • 引っ越す前から、引越し先の病院は探すべき

こんなところでしょうか(普通な話になったw)

札幌でも苦労したので、政令指定都市以外に住もうと思うときは、余計に近くの病院を丁寧に探したほうが良さそうです〜!

 

差別も区別もみんな無意識のところにあるんだな

北海道で生まれ、北海道で育った私ですが、
31歳になるまで「アイヌの人だ」と意識してアイヌの人とありませんでした。

私の中のアイヌ
小学生の時に勉強したり、北海道の色んな地域の由来になってたりしていて
よく知らないけどなんとなく誇らしいという位置づけで、
最近は「ゴールデンカムイ」を読みまくっているのでアシリパさん大好きで
漫画を読みながら小学生の時に勉強したことを思い出している感じでした。
藻岩山ロープウェイアイヌの服が飾られてたり(そこで実物を初めて触った)
地下歩道に飾ってある文様とかなんとなく見たことがあって、
この前富良野OKI DUB AINU BANDを初めて聞いて
トンコリの音色を聞いたり、アイヌの人ってこういう感じなのか〜
なんてぼんやり思っていた。

 

先日ご縁があって、アイヌ文化と日本文化を共存するために
様々な活動をされている方とお話しました。

私としては、初めて「アイヌの人だ」と意識してアイヌの人と話したわけです。

やっぱり初めてなので、自分の中の想像部分と、
目の前にいるその人とのギャップを会話の中で埋めていくわけです。
アイヌの人も北海道弁使うのか…とか小さな驚きがいくつかありました。

 

そんなとき
「さっき仕事で小学校に行ってきたんですよ。そしたらね、子どもたちに『アイヌの人もスマホつかうんだ〜!』って言われてね」
とおっしゃってて。

うむ、なるほど、と。
本人はもう慣れてしまったのか笑い話にされていたけれど、
私が「アイヌの人って北海道弁使うんだ…」も似たようなことだよなと。

知らないことを想像で補完することの怖さを感じました。
めちゃくちゃ偏見とか想像とか差別とかが無意識のうちに含まれていますね。

 

そしてアイヌの人に無意識にいろんな偏見を持っていた(想像で補完してた)自分がいたことに気付くと同時に、
ゲイとレズビアンの後輩と話していたときのことを思い出したんです。

うわぁ…あの時から自分全然変わってないじゃないか…!!!

自分に幻滅しました。

 

自分の周りに存在しないと、想像で補完しがちだけれども、
大事なのはちゃんと勉強することだと思いました。
ちゃんと知って、ちゃんと向き合って、触れ合って、
自分の中の無意識にある偏見を崩して
アップデートしていくことが大事なんだと思う。
それが、多様性を受け入れるってことなんじゃないのかな。
と、思ったのです。

 

▼100年くらい前の北海道をおもしろおかしく知るならばゴールデンカムイがおすすめ!漫画とは言え、丁寧に取材されている気がしており、漫画を呼んだ後に博物館網走監獄に行ったときは胸熱でした…!

 

樺太アイヌの楽器「トンコリ」を使って音楽作ってるOKIさん〜よくRISING SUNというフェスに来ている気がするが一度も行ったことなかった…ごめんなさい…この前聞いたら結構良くって、インスト好きな人はぜひ!!

トンコリ

トンコリ

 

 

アイヌ文様のデザインやアイヌ音楽をやってるtoytoy屋。ビッセにもお店があるらしいんだが、こんなオシャレに日常で使うものにアイヌ文様デザインされてたら、なんか良いよね〜お土産屋さんとちょっと違う。

toytoy.jp

 

 

勉強が大事だね。アイヌの博物館とか行ってみようと思う〜〜

「地産地消」ではなく「地産地製外消」にしていきたい

年末年始、時間があるのでいろんなことを考えていたのだが
ふとこんなことを思った。

 

つまり、日本は人口がどんどん減っていくので、
その地域だけでお金を回していても自然と人が減っていくため
いつかは回らなくなってしまうのではないか。
最終的には外に売ってお金が入ってくる仕組みが作れないと駄目なのでは?
という問いです。

明太子を例にして、詳しく書いていきます。

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地産(外製)外消 ※造語です

北海道に帰ってきてから、耳にタコが出来るくらい、この話を聞いています。

福岡の明太子、あれ実は北海道のスケトウダラの卵を使っているんだよ。
北海道は素材は良いけど商品にするのが下手くそだから、
安く素材だけ提供して、ものすごく付加価値つけられて、
高ーく商品化されたものを我々が買っているわけだ。
今はもう北海道産のスケトウダラの卵じゃなくなったみたいだけどね。

 コレについては私が調べている訳ではないので、事実かどうかはわかりません。
ただ、たとえ話に最適なので使わせてもらいます。

 

つまりこれって、絵にすると↓こんな感じですよね。

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地元で採れたものを地元で消費せずに、外に全部出しちゃって、
製品化されたものを外で消費している。
地産外製外消」ですよね。
これが良くないよね、お金は地元に落としたほうが良いよね、
って話で地産地消の流れができたわけですよね。 

 

地産(地製)地消

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今度は、地元で採れたものは地元で消費しようよ!というもの。
採れたスケトウダラの卵を明太子にしてその地域で食べる。
製品化も全部地元、消費も地元で、一見お金が回っているようにも思えますが
人口が増える前提で考えられているような気がしてならないのです。

これからの日本って絶対に人口が減っていきますよね。
お金を回す人たちが減っている中で、地域の中でお金を回そうとしても
いつかその循環は途絶えてしまいます。
例えものすごく良いモノがその地域にあったとしても、です。

加えて、外に出ていかないので、そのモノの商品価値を見誤ることもあると思います。
とても良いモノなのに、「東京で流行っている」というだけで、
東京で流行っているモノに人気が負けることもあるでしょう。

ただ、「地域で作られたものは、地域で消費する」というのは、
当たり前にやっていきたいこと、だと思うのです。
硬い言い方ですが、経済活動のベースであるべきだと思います。
それだけだと弱くて、「外で消費させる要素」がないといけないのでは?
というのが私の問です。

 

地産地製外消をやっていきたい!

地元で採れたスケトウダラの卵を地元の企業が超イケてる明太子にして、
それを東京各地でバンバン売っていく。
「地域の材料で、地域で作られたものを、外でも消費してもらう」という考え方。
これからは、これが大事になっていくんじゃないかなと思いました。

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「買ってもらうことを見越して商品を作る」必要があるので、
今までと比べると難易度がぐっと上がります。
市場が東京(というか日本全国、全世界)になるのだから、
マーケティングが必要だし、コンセプトメイキングも大事になっていきますよね。
「牛乳がたくさんあるからチーズ作ってみました」では、到底勝てない。

例え超イケてるモノが作れたとしても、販路がないといけない。

なので、

  1. 売れる良いモノを作る
  2. できたものを広めて売る

というハードルがあります。

考えただけで難易度の高さを痛感します。

ここの突破口って、何なのだろう?と考えたんですけど
一つは、「よそ者・若者・馬鹿者」という存在。
もう一つはクラウドファンディング(Makuake)」という手段、だなと。
(あれ…?なんか宣伝みたいになってきたぞ…!?でも最後まで読んでw)

 

よそ者・若者・馬鹿者の強さ

なぜこの存在が強いかと言うと、
圧倒的に中心部での流行りを体感しているためマーケティング感覚に優れており
過去の慣習に囚われず新しいことに挑戦するハードルがものすごく低く
誰もが考えていなかったことを成し遂げられる可能性が
十分すぎるほどあるからだと思います。

だから地方自治体は「地域おこし協力隊」という名目で
”よそ者・若者”をこぞって呼び寄せているんだと思います。

 

クラウドファンディング(Makuake)のという手段

すいません、とっても宣伝みたくなっていたのですが、大真面目な話、
地方の良いモノを全国的に広める手っ取り早い手段としてかなり有効だと思いました。
なぜならMakuakeの得意分野は

  1. プロジェクトにたくさん人を集めること
  2. 魅力を十分に発揮させる良いページを作ること(コンサル)

この2点だからです。
つまり、「地産地製外消」を行っていくための突破口として
Makuakeが貢献できる可能性が十分にあると思ったのです。

たとえばこれ。
もうプロジェクトは終わっていますが、下川町あべ養鶏場の燻製卵のプロジェクト。

www.makuake.com

下川町で産まれた卵を、下川町の五味温泉で熱して、下川町のウッドチップで燻し、
そうやって完成した燻製卵です。
1ヶ月半ほどの期間でしたが、213人から支援(≒購入)されており
まさに「地産地製外消」だと思います。

 

他にも、いろいろ…(あまり載せると宣伝ぽくなるのでやめておきます)

www.makuake.com

www.makuake.com

 

まとめ

なんだか自分のPR記事のようになってしまいましたが(ごめんなさいw)
これからは「地産地消」に留まるのではなく、
その先の「地産地製外消」の時代が来るのかなと思いました。

そして、私の仕事はそのお手伝いができるとも。
北海道の皆さん、地元の良いもの、地元だけにとどめておかず、
日本各地に広めていきませんか?

余白と孤独の間で、私達は生きていく

年末、Twitterでずっと眺めているだけだった相手に勇気を出して
「会いたいです!」と送ったら、
快諾していただき、一緒にコーヒーを飲んできました。

その方は、1988 WEB MAGAZINE – 道東をもっと刺激的にするメディアを運営されている中西拓郎さん。

twitter.com

同じく地元北海道にUターンしてきた方であり、
自分の大好きな地域を盛り上げようと奮闘している大先輩です。
お話してた中で中西さんが
ローカル怒られない問題』をめっちゃ課題視されていた。

ぶっちゃけ私はピンとこなかったのだけどw、
よくよく話を聞いたら私の課題感とかなり似通っていた。

一方で「『ローカルラッキー』というのもあると思う」ともおっしゃっていて
地方にUターンしてきた人たちはみんな感じるのかもしれない、
とも思った。

 

『ローカルラッキー』と『ローカル怒られない問題』を私の言葉で表すと
『余白ガラガラ状態』と『誰もいない問題』だと思う。

 

 

余白ガラガラ状態とは

まず、地方は想像以上に人がいません。
札幌でも感じるけど、それよりも遠いところだったらなおさら人がいないと思う。
人がいないとはどういうことかというと、
ライバルがいないから、今までやってたレベルで頑張り続けるとすぐに目立てる。
そして、その地域で唯一のポジションになり得ることが可能なのです。
ライバルがいたとしても、東京に比べると大した数ではないので
ブランディング次第ではいいポジションを抑えられます。

例えば、
私の仕事はクラウドファンディングの営業とコンサル(以下キュレーター)ですが、
東京だと私の同僚だけで15人くらい?
競合他社もいるので、50人?100人?というレベルになりますが
北海道だと拠点があるのはマクアケと、
1つだけあるローカルのクラウドファンディングサービスのみになり
キュレーターがいたとしても2〜3人程度ということになります。
更に、”サイバーエージェントというデカいネットの会社で働いてきた”とか
”過去にWEBサービスやゲームを何本も立ち上げてきた”とか
そういう経歴は私だけです。

なので、ブランディングをちゃんとやってさえいれば、
その地域の余白はたくさんあるので、唯一無二のポジションを陣取れます。

なにか新しい事業を始めようとしたとしても、余白だらけなので
とってもポジティブに言うと勝ち目だらけです。

これが、私の言う『余白ガラガラ状態』です。

 

誰もいない問題とは

前述の通り誰もいないので、それは時に厳しい環境を作り上げます。
切磋琢磨できないのです。

北海道は、東京と時間の流れる速さが違い、ゆったりしているし
なんとなく保守的で、リスクをとって挑戦する!という方が少ない様に思えます。
あくまでも東京と比較して、です。
確かに、都心にいては絶対に見れないような美しい山並みや、花々が
そこら中にあるもんだから、そんな景色を見ていたら
いろんなことがどうでも良くなってしまう気持ちになります。経験済みです。

そんな環境に長くいると、環境に慣れてしまい、
驚くほど成長が鈍るんですよね。
ライバルがいないから競う相手もいない、叱ってくれる人も少ない、
刺激がないから自分が求めるレベルも向上していかない。
まさにジリ貧、気付いたときには老害になってるパターンです。

結構それは怖いなと。

 

余白と孤独の間で、私達は生きていく

この環境に危機感持ちながら、
ガラリと空いたホワイトスペースで成長していかないといけないので
それはそれで難しい部分はあると思う。
北海道大好き!地元最高!北海道を良くしたい!って死ぬほど思うけど
ガチで思っているからこそ、私はやっぱり毎月東京に行くことにしました。

ガラガラに空いているスペースに勇気を持って飛び込んで、
東京とか世界と同じレベルを目指して成長していく。
それが、私達Uターン組だから出来ることだと思うし、
私達がやるべきことなのではないかなと思います。

余白のラッキーさと、孤独の難しさの間で揺れながら、
私達は生きていく。

 

 

どこに住んでいようとも

結局、どこに住んでいようとも、難しいことや問題なんてザラにある、
というふうに考えれば
ローカルで生きる楽しさを私は主張したい。
確かに覚悟がないと移って来れないと思うけど、
「東京だけが正しい」「東京だけが何もかも揃っている」なんてことはない。

満員電車もない、ゴキブリもいない、ゴミゴミしたビル街もない、
だからこそ生きやすい。
人もいない、ライバルもいない、だからこそ面白い。

「北海道を良くしたい」ということに人生かけても面白いんじゃないか。
こういう人間がいるんだよっていうことを発信して、
ローカルの可能性にも気付いてもらいたいなと思う。

 

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「良心」や「道徳」では差別はなくならない

ゲイの友だちにやってしまった失敗がありまして

↓詳細はこっちにまとめているのですが

要は、ゲイの前でノンケを「普通」だと言ってしまったんですよね。

いまもとても後悔しているのですが、

後悔しすぎて、これはもう本を読んで勉強しよう!と思いつき、

こんな本を読んでみました。

LGBTを読みとく: クィア・スタディーズ入門 (ちくま新書1242)

LGBTを読みとく: クィア・スタディーズ入門 (ちくま新書1242)

 

 で、この内容、けっこうグサグサくるんです。。。

私の中でアップデートされていなかった情報もあって勉強になったのですが

もうとにかく反省反省反省…っという内容。

特に「私ってゲイの友だちいるから全然偏見とかないんだけど…」って言う人に限って差別的な発言が多いとか

「私はセクシャルマイノリティには寛大です」なんて言いながら

実は全然LGBTsに関して勉強しないから間違った知識で当事者を傷つけたりとか

そういうのがとても多いんですって書いてたところにグサリと来ました。

 

男性同性愛者と女性同性愛者の友だちとゴハン食べたときに

上記の話したんですね。

そうすると出て来る出て来る、「生身の声」。

聞いていて苦しかったです。

 

その本に書いているとおり、

「友だちにゲイとか結構いるよ〜」って言う人に限って偏見を持ってることが多いんだよね。

一見、ゲイやレズビアンに自分は寛大だと思っている人も、その「良心」を持っていることに満足して勉強しない。

知ろうとしない人がすごく多い。

だから当事者がどんなことに苦しんでいるのかとか知らないんだ。

 

初めて人を好きになったとき、もう同性に恋してた。

でも小学校の保健体育で、

『第二次性徴期では異性を好きになります。

 まぁ同性を好きになる人もいますけど(笑)』

って同性愛者を馬鹿にしたように先生が話してるのを見て、

自分は馬鹿にされるような存在なんだと気づいたんだ。

と。

 

そして、結婚の話も出ました。

私はやっぱり結婚(入籍)する意味がなんとなく分からなくて、

(財産分与とか権利とかの視点で言えば籍を入れる意味はわかるんだけど)

結婚したがる人たちの気持ちがなんとなく分からないのですが(サイコパスw)

男性同性愛者の友人は、結婚できる制度がほしい、と言っていました。

「なんで結婚したいの?私あんましたい気持ちが分からない」と言ったら

「結婚できる状態でしないことを選択するのと、

 どう頑張っても制度的にできないのは大きな差だ」と言われ

そんな初歩的なことにも気がつけなかった自分が恥ずかしくて

穴があったら入りたかったです。

 

LGBTsだ!多様性を認めろ!みたいな風潮がいまはあって、

昔よりは同性愛者も生活しやすいようになってきたかもしれないけど、

その影には権利を主張しマジョリティと闘ってきた先人が居るんだよね。

それでもまだまだ偏見や差別が残ってる。

 

まるで、女性差別と闘った平塚らいてうとか与謝野晶子とか、

女子教育の先駆者である津田梅子とかがいるけど

男女雇用機会均等法が制定されてもなお根強く男尊女卑の意識は残ってるみたいな。

 

やっぱり権利というものは、何かと闘って得るものなのかもしれない。

テクノロジーが発展して、新しいものがどんどん生み出されている今、

昔ながらのモノはそう簡単に変えられないとしても

新しい概念や新しいモノを作って、古いものに変わって存在することは出来る。

私の友人の、男性同性愛者と女性同性愛者の二人は、世の中を変えたいと言ってた。

セクシャルマイノリティに関しては、私は当事者ではないので

先陣を切って何かやるのは難しいかもしれないけど、

友人の二人が頑張るなら、一番の応援者になりたいと思いました。

 

 

ちなみに…

私はテレビの「オネエ」とか「オカマ」でLGBTsを一緒くたにするのは好きではありません。私の認識では、ふたりともオカマ(恋愛対象が男性という点では同じだが)とか言われてるけど、

マツコ・デラックスは、自分の性を男性だと認識していて男性が好きなので同性愛者。で、異性装が好き。

はるな愛は、自分の性は女性だと思っているけど男性だったので体を女性にし、自認している性が女性なので、男性を好きということは異性愛者。

で、全然違うと思う。(間違っているかもしれないけど多分あってる)

 

「え、そうなんだ、知らなかった」と思った方、ぜひこの本読んでみてください。

LGBTを読みとく: クィア・スタディーズ入門 (ちくま新書1242)

LGBTを読みとく: クィア・スタディーズ入門 (ちくま新書1242)

 

 

北緯44度。北海道下川町の「くらしごとツアー」に参加したよ。

会社を退職し、札幌に帰ってきてから3ヶ月が経ち、私は2月から再び会社に就職することにしました。(何の会社かはまだひみつ)

最後のフリーダムタイムを利用して、北海道は下川町の「くらしごとツアー」に参加したので、そこまでに至る経緯と、ツアーで思ったことと、これからのことを書きたいと思います。

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下川町の名物、アイスキャンドルを作りました。

 

目次 

 

 

生涯をかけてやり遂げたいものはなんだろうか

前職ではインターネットに関連するサービスをたくさんやらせてもらって、本当に好きなだけ思いっきり仕事をしました。とにかく自分のために、一生懸命働いて、会社から評価されることが嬉しくてまたがむしゃらに働きました。とても楽しかった。

でも札幌に帰ってきて一息ついたら、自分のために働くのはもういいかなって思ったんです。

自分が今まで生きてきた、まだまだ浅いけど経験とかを活かして、せっかくだから、大好きな北海道に何かしたい。そんな思いに駆り立てられました。

だけど、私は北海道を知らなかった。自分が何をしたいのかわからなかった。東京の会社からもらった仕事で食いつなぎつつ、何かを模索していました。

 

 

退職後に感じてきた社会の流れ

会社を退職してフリーランスになると、今まで見えてなかったものが急に見えてきました。見えてくるといっても、ハッキリと形になって現れるだけではなくてぼんやりと存在を感じたり、自分の中で疑問として出てくることもありました。

それはどんなことかというと、それは私の自由な方のブログにも書いたんだけど

 

フリーランスをやってみて変わったところ|明るいおかぴーのブログ

こういう「仕事」に関する価値観とか

 

地方で気づいた働く女性の環境と介護のはなし|明るいおかぴーのブログ

「介護」と「女性の仕事」に関することとか

 

みんな一緒に楽しく生きるって難しいんだね|明るいおかぴーのブログ

「生き方」についてのこととか。

 

日本の真ん中で大きな会社に勤めるのが偉かった時代はあった気がするけど今はそれだけじゃなくなってきていて、かと言って起業する人だけが偉いかっていうとそうじゃなくて、いろんな生き方と働き方があるんだなとか

スケールすることだけを追い求めてきた社会人生活だったけど、サスティナブルってすごく価値があることなんだなとか

昭和中期〜後期に良しとされていた家族像には無理が出てきて、結婚しない・子どもを作らない生き方も正しくて、それぞれのライフスタイルを若い世代中心に探し始めているけど制度はもちろん大多数を占める年上の方々の気持ちを含めた受け入れ体制はまだまだ整っているとは言い切れないなとか

ゲイとかレズビアンとかに対応するためのパートナーシップ制度じゃなくて、本当に全ての人を網羅できるような制度ができたら素敵だなとか

共通して思うのは、これはありきたりな言葉になってしまうんだけども、仕事や居住地も含めたライフスタイルはどんどん多様化に向けて動き出していて、いろんな生き方があっていいんだな、と。

 

ここまで思ったことが重なったのだけど、自分がこれからどうしたらいいのか分からなくて、本を読み始めました。最近流行ってた本から、お金の話まで、本当にいろいろ。

札幌に来る前に、経済産業省の方とお話したときに出てきた「東川町」というキーワードがやけに頭に残っていたので、「東川ライフスタイル」という本も読みました。(リンクは感想と共に後で貼ります)

 結論すごく面白くて、「地方活性化」「地域おこし」「まちづくり」なんてキーワードが自分の中に深く刻まれたときに、ふと、以前たまたまTwitterで見た記事が頭をよぎり、たまたまフォローしていた鳥井弘文さんがリツイートしていた記事に出会い、「くらしごとツアー」を知り、参加することを決めました。

 ここまで長いね、ごめんなさいね。

 

 

くらしごとツアーとは

東京23区と同じくらいの面積ながら、人口3400人で、かつ面積の9割が森林という、なんだかすごい町。すごくないですか?東京23区には920万人住んでいるのに、下川町には3400人です。しかも9割が森林て!東京に住んでたら「森林」ってそんなに見ないですよね。

で、どこにあるかというと、ここらへんです。

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 Google Mapsをキャプチャしました。

 

札幌から約240km(東京から浜松越えるくらい、新潟の手前)。下川町までJRは通ってなく(廃線になった)、名寄駅から車で更に30分。そんなちょっぴり過酷な場所に行ってきました。

 

下川町って、人口の減少自体は日本と同じくらいのペースだけど、若者が増えているんですって。それは、一生懸命若者を呼んでいるからなのですが、その一つの取組みが、「くらしごとツアー」なんですよね。

これを見てもらったほうが早いのだけど、引用しますね。

下川町では、ローカルベンチャー推進協議会をはじめ、新たに事業を興す起業家や、自分のやりたいことを実現するべくチャレンジする人を応援する町です。

自分のやりたいことを実現する場として、下川を選ぶ若者が、どんなところにその可能性を見出しているのか、実際に自分のやりたいことをどのように見つけ、実現に結びつけているのか。そのホントのところを、実践者の方々にお会いして学びます。

同時に、そうした動きが下川のどんな魅力の発信・発展につながっているのか。

2泊3日の下川町を知る旅。プログラムも、移住や就労をリアルに考えられるようなものになっていました。

1日目
13:00 JR名寄駅前集合
13:30 ツアーチェックイン
14:30 町の取り組み説明
16:00 町散歩
19:00 夕食
19:30 NPO法人「森の生活」説明
21:30 雪の森をスノーシューウォーク

2日目
 8:45  出発
 9:00  2日目オリエンテーション
 9:30 アイスキャンドル作り
10:00 アイスキャンドルのお話
11:30 昼食
13:00 開業準備中のゲストハウス訪問
15:00 町内若手の「86プロジェクト」のまちづくり
18:00 アウトプット
19:00 夕食

3日目
 8:30  チェックアウト
10:00 一の橋地区の先進的取組紹介
12:00 昼食
13:00 振り返り
15:00 下川出発
15:30 JR名寄駅解散

 

1日目は、行政という立場から、町の現状を勉強しました。

超絶雑にまとめると、元々鉱山があったけど閉山してから一気に人がいなくなったけど、9割を占める森林を頑張ってこう!ってなって循環型森林経営を基盤としていろんな派生産業が生まれ、「森林」が下川町の大きな強みになりました、という話。

2日目は町民が町を変えていった話

「このままじゃいけない、自分の子どもたちが大きくなったときに住みやすい町をつくりたい」という強い危機感から、町の人々が色々な動きをしていったそうです。それが何十年も前から続いていて、チャンスをピンチに変える、前向きなチャレンジャーのDNAがずっと続いていると、言っていました。

3日目は、「一の橋バイオビレッジ」の取り組みを勉強。

一の橋バイオビレッジは、エネルギー自給型の集住化エリアで、この取り組みによりこの地域の高齢化率が約50%→約30%に…!!!なんとも最先端な取り組みです。詳しくはリンクを読んでね…

 

びっくりするほどツアーがよくできていて、行政と民間、上手くいっていることと課題点、バランス良く学ぶことができました。とにかくみんな楽しそうに下川を語る。これはすごいことですよね。

 

 

くらしごとツアーに参加して

東京に暮らしている人から見たら、北海道の、しかも札幌じゃない寒そうなところにある”町”ですが、 先進的な地域だと思います。高齢化率の改善が上手くいっている、過酷な地域なのに産業が生まれている、人々が町を愛し大事に思ってる、よそから来た人を受け入れている、町全体が未来に向けて動いている。なかなか出来ることではないと思います。

循環型森林経営を始めたきっかけも、当時自然災害で多くの森林がダメになったときに、町長が「もったいないから再利用しよう」と言い、炭の事業が始まったようです。いまの町役場の方が「我々下川町民には、ピンチをチャンスに変える力、そのDNAが受け継がれているんだ」と言い切っていた姿が印象的でした。

地域おこし協力隊として下川町に来ている立花実咲さんが、「まちづくりは、ベンチャーのようです」とおっしゃっていましたが、まさにそのように見えました。下川に来て感じたワクワクは、私が前職に初めて出会ったときのワクワク感に似ている気がしたのは、そのせいかもしれません。

 

 

これからのこと 

ここまで長かったですね、すみません。

じゃあ、この下川町へ行って「くらしごとツアー」を体験した私が札幌に戻って、何をするんだ?という話。

2月から就職する会社でやることが、上手くやれば地域活性化に貢献できる気がしているので、「仕事をがんばる&楽しむ」でしょうか。すごく面白くない答えになってしまいまいましたが、今度は自分の利益のためだけに働くのではなくて、その先の、地域とか未来とかに対して働きたいと思っています。

今まで全く本を読まなかった私ですが、1月から読み始めて8冊目、読書は続けよう。読書は、体験を「楽しかった〜♡」で終わらせないために絶対に必要だと今回思いました。

自分の目で見て体験することも続けよう。今回は下川町まで行ってきたけど、次は東川町にも行ってみたい。他にも頑張っている市町村に自分の足で行って、感じたい。

迷い悩みながら前に進もうと模索した1月だったけど、この方向で間違いないんだなという確信が持てたのが良かった。私の第三の人生のスタートを切れた気がします。

 

 

おわりに

下川町に興味を持ってくれた方、こちらのサイトを見ていただくのがいいと思います!

shimokawa-life.info

移住者に対してのサポートがどんなものがあるか、どんな暮らしができるのかが詳しく載っています。移住説明会なども、日本各地でやっているので、そのお知らせもぜひ!

 

 

おまけ(写真で振り返るくらしごとツアー)

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左から順に

  1. まちおこしセンターコモレビ。森林の町なのでいたるところに木材が使われています。
  2. 町内いたるところに薪ストーブが!すごく温まります。
  3. 一の橋バイオビレッジは、長屋のように外廊下でつながっています(屋根があるから除雪の必要なし!感動)1LDK〜3LDKまであるようです。
  4. 下川町の名物、アイスキャンドルを作りました!寒さを逆手に取った取り組みが素敵です。
  5. スノーシューを履いて、夜の森散歩。寒かったけど、あの星空は忘れられません。
  6. 森を歩いていると、色々な動物の足跡が。人間だけじゃなく、植物も動物も一緒に生きている感がいいなと思いました。
  7. 町の看板には、下川町の名物がデザインされています。こういうのウキウキしますよね!
  8. 下川町は寒すぎて雪が溶けないため、雪の結晶が簡単に見られます。こんなに眩しくてこんなに美しいと思った雪原は久しぶりで、本当に感動しました。
  9. 一の橋バイオビレッジで子鹿がいました。近くてびっくり。
  10. スキージャンプ葛西選手も大好きだという菓子舗のやないさん。シュークリームが激ウマ過ぎて泣きました。
  11. 東京から移住されたマスターがやっているカレー屋さん。めっちゃ美味しいです。忘れられない。
  12. 下川町でとれるトドマツの葉で作った精油。それを使ったアロマや石鹸などが売られています。まるで森の中にいるような香りに包まれるよ〜!

 

参考図書

下川町にたどり着くきっかけとなった東川町の本。文字が大きいし写真多めなのですぐ読めます!これ読んだら絶対に東川町に行きたくなります。

東川スタイル―人口8000人のまちが共創する未来の価値基準 (まちづくりトラベルガイド)

東川スタイル―人口8000人のまちが共創する未来の価値基準 (まちづくりトラベルガイド)

 

 

 下川町の本もありました。この本の紙は、下川町で取れた木でできているらしい(たしかそうだったハズ…)ちなみに、Amazonで購入しましたが、私のもとにはまだ届いていないので読んでいませんがきっと素晴らしいと思います。笑

エネルギー自立と地域創造(づくり) 森林未来都市 北海道下川町のチャレンジ

エネルギー自立と地域創造(づくり) 森林未来都市 北海道下川町のチャレンジ

 

 

退職しました

2017年9月をもちまして、サイバーエージェントを退職しました。

 

19歳で上京し、
20歳からサイバー・バズでアルバイトを1年間
22歳からCyberXで内定者バイトを1年弱、
23歳から新卒で入社し、
30歳で会社を退職し、札幌へ。

 

私の東京ライフは、ほぼCAだったし
子どもで未熟な私を、いっぱしのビジネスパーソンに育ててくれたのは
言うまでもなく、会社と、一緒にお仕事させていただいた方々です。
どうやって感謝の気持ちを表したらよいのか、わかりません。

 

せっかくなので、この10年間を振り返りたいと思います。

 

とにかく仕事が楽しいんだと教えてくれたサイバー・バズ時代

いつも眉間にしわを寄せて大変そうに働いていた父親を見ていたせいか
仕事ってとにかく大変そうなイメージを持っていました。
ひょんなことからバズでバイトすることになったのですが、
そのイメージを粉々に打ち砕かれたのは、
10年経った今でも鮮明に覚えています。
会社立ち上げ2年目だった当時、とにかくみんな働く時間が長かった。
でも、とにかく楽しそうで生き生きとしていて、
まさに大人が青春を謳歌しているように見えて、
「私もこんな風に働きたい」と心から思いました。
そして、ただの学生バイトだった私に、
社会人の基礎を厳しく愛を持って叩き込んでくれた当時の上司に、
いまでも感謝しています。

 

営業からゲーム企画へ。
プロデューサーを目指すきっかけを作ってくれたCyberX内定者バイト時代。

ガラケーの制作会社として立ち上がったばかりのCyberXで、内定者バイトを始めました。
当時はガラケーが流行り始めたタイミングだったので、
受注するために営業としてアポ電をしたり、アポに行ったり…!
でも営業としては全く成果を残せず、
「私はCAにどうやったら貢献できるのだろう」と考えていた矢先、
ガラケーのゲームをつくるという大きな業務転換が起こりました。
ゲームはmixiの農園ゲームくらいしかやったことなかった私ですが、
とにかく必死に企画を考え、
現在副社長の日高さんに週2回企画を提案するという貴重な体験ができました。
そのときに、日高さんに
「プロデューサーに向いているかもね」とお言葉をいただき
サイバーエージェントにプロデューサーとして貢献ができるのだと
救われた気持ちになったことを今でも思っています。

 

プロデューサー、ディレクターとして様々なサービスを担当させてもらった

まだ1年目だったにもかかわらず、Amebaの顔である
ブログを担当させてもらいました。
実力が死ぬほどなくて、悔しい思いばかりしたのを覚えています。

その後、
「岡山が向いているだろう」と社長から直々にオファーをいただき
大好きだったブログから、ゲームへ異動しました。
当時、Amebaの売上の肝であったガラケーのゲームです。

japan.cnet.com

  

チームで仕事をする、
メンバーの力を最大限に活かす、
決断する、
人を育てる、
という、マネジメントの基本を学んだのが、
ゲームを担当していた2年弱だった気がします。
毎日泣きながら帰りましたが、それを乗り越えて強くなれたのは
私の仕事の幅を結果的に大きく広げられたと思うし、
強く強く育ててくれた当時の上司には頭も上がりません。

また、その際に売上を2倍に伸ばせたことから
社員総会で「ベストプロデューサー賞」をいただきました。
驚きすぎて感情がついてこなかったのを覚えています(笑)

 

それから、Amebaプラットフォームに異動。
その後、どうしてもチームで仕事がしたくなり上司にお願いして
女性向けアプリゲームを1から立ち上げさせてもらうことに。
2014年11月のことです。

今まで、どの仕事も全身全霊でやってきたつもりでしたが、
心の底から人生をかけてやり遂げたいと思えるほど大事だと思えるような
チームとプロダクトでした。

女性向けアプリゲームでは、
根幹となる企画づくりから、一緒にお仕事するパートナー選定、進行管理、
プロモーション、SNS運用、楽曲制作、コンテンツディレクション
グッズ制作、番組制作、イベント運用…など
とにかくゲームに関わる全てのことを(プログラム以外)やらせて頂きました。

その過程で、チームマネジメントも勉強し、
自分の強みにできることを確信することもできました。

営業のトラウマがあったのですが、
意外と社外の方と仕事をするのが楽しくて大好きだということも気が付きました。

全く知らないジャンルでも、とことん勉強して大好きになれることも知りました。

今までで一番、自分でも知らなかった自分に出会えたのは、
このプロジェクトだった気がします。 

 

その女性向けアプリゲームをリリース後、
新規メディアの立ち上げに挑戦するチャンスをいただきました。

「事業責任者」というポジションでのジョイン。
今までの経験を総動員しても、とてもむずかしいプロジェクトで
結局3ヶ月遅れてのリリース。

r25.jp

本当にたくさんのサービスを担当させてもらって、
たくさんの素晴らしいメンバーとサービスづくりをさせてもらいました。

もっともっと、いただいたチャンスを成果で返したかったです。
悔しい気持ちも、とても残っています。

 

これから

札幌の実家に帰ることになったのですが、仕事は続けるつもりです。
サイバーエージェントではたくさんのチャンスを恵んでいただいたので
今度は、自分でチャンスと仕事を作っていきたい。
そして、人生をかけてやり遂げたいことを見つけ、
札幌に貢献していきたい、と本気で思っています。

もはや、新しい挑戦がしたくて、ウズウズしています。
やっぱり私は仕事しないとダメみたいです(笑)

 

 

さいごに

最後になりましたが、
こんな私にビジネスパーソンとして大事なことを教えてくれたみなさま、
トレーニーとして私と一緒に成長してくれた後輩たち、
チャンスを与え続けてくれた先輩方、
切磋琢磨しあい、心の支えであった同期たち、
今まで、本当に、本当に、ありがとうございました。

元気でな!