hiromi-okayama’s blog

燃えるハートの雪女☃️というステキなコピーを藤田社長からいただきました

教えてほしい、どうしてサンタさんがいるなんて言ったの?

私の父は単身赴任が多かったので、幼少の頃は、母と妹と3人だった。

幼い頃は、「サンタさんがいる」と思っていた。
だって、サンタさんに手紙を書いたら返事が来た。英語だったし、筆記体だったし、母にはこんなにキレイな筆記体書けないし。
家にある煙突は細すぎて人が通れないからサンタさんはどうやって来ているのか母に尋ねたときに、「私はちゃんと窓の鍵を開けているよ」と言われた。母は毎年ずっとクリスマスイブに大きな窓の鍵を開けていた。

でも小学5年生くらいの頃だろうか、サンタさんが「いる派」と「いない派」に別れた。「いない派」は決まって、「いる派」に向かって「まだ信じてるの?子どもだな」ってバカにしてきた。

小学6年生になると、私は「いない派」になった。表向きは、サンタさんなんていないよ、って言うけど、でも心の中では信じてた。信じたかった。信じたかったけど、ほぼほぼ親がやっていることが確定していた。私は、揺れていた。

もう大きくなってくると、親かもしれないという考えから、欲しい物をリクエストできなくなっていた。ので、母に向かって「サンタさんはいないから、プレゼントいらない」と、妹がいないところで伝えたと思う。

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その年のクリスマス、SPEEDのCDアルバムと共に、サンタさんから日本語の手紙が入っていた。「母がずっとサンタさんから頼まれてプレゼントをあげていました。」という内容が書かれていました。

泣いた。家族に見られないよう、こっそりと泣いた。

ショックだった。やっぱりサンタさんがいなかった。「窓の鍵を空けている」なんて言っときながら、ずっと母がプレゼントをくれていたのだ。嘘つきだ。悲しかった。「いない派」がずっと正しかったのだ。私は騙されていたのだ。悲しかった。信じたかったのにサンタさんがいなかったのだ。

1999年12月25日は、私が迎えたクリスマスの中で、最も悲しい思い出となったのだ。

 

さぁ、教えてほしい。どうして親は子どもに「サンタさんがいる」なんて信じ込ませるんだろうか。
信じた結果、めちゃくちゃ悲しい思いをした子どもは、きっと私だけじゃない。疑うまでの10年間はきっと毎年楽しいクリスマスだったとは思う。でも、12歳のときの悲しみは、とっても大きかった。もはやトラウマだ。

私は最初から、「親がサンタさんからプレゼント預かっているよ」という体でいてほしかった…。そういう信じ方をしたかった…。

 

という話を夫にしてたら泣けてきた。あれから20年経っても泣ける。ちなみにこの記事を書きながらも泣いている。悲しい。サンタさんに会いたかったなぁ。